いだきしん 陸奥新報「土曜エッセー」(2007年12月15日)より
真の健康を求めて
子供の頃、ずっと体が弱かったのです。中学入学早々、弘前大学付属病院小児科病棟に約一年入院しました。その後も、町の病院に入退院を繰り返し、中学四年間、高校四年間在籍しました。この間、数度の生命の危機にあい、この生命のぎりぎりの時、今こうして思うと最も尊い経験をしていました。絶望もなく、希望もありません。何もありません。ただ生きていることの不思議さを経験しています。意識が遠のいている時、体の奥で人の優しさ、願い、祈 りといっていいような心を感じました。普段はありえない幸せな感じです。しかし、少し回復すると幻のようにこの貴重な経験は消えます。
いつになく生きることの意味を真剣に考えるようになりました。高校卒業後、横須賀のある病院に転院しました。入退院の生活に終止符を打つためです。転機をつくり、それまでの生きている状態にピリオドを打つことに決めたからです。何年生きるかは分かりません。どこかで決めないと取り返しがつかないことになるだろうという予感がありました。
退院後、今後は入院加療することを止めることにしました。健康になる方法を見つけ、いつか普通に生きていけるようにしようと決めました。
ようやく人生のスタートをきれたのです。健康を求めて、数え切れないほどの健康法に出合い、その時々に納得して取り組んでみたものの、病気から解放されることはありません。既に十年過ぎています。
いよいよ他に求めないで自分で根源的に探求することよりなくなりました。これまでは、どうしても自己中心になりがちです。体さえよくなればという思いが強くなり、どうしても人のこと社会のことに集中できません。人は人の役に立つこと、喜ぶこと、今後の社会に必要なことなど自己以外のことに力を向け発揮してこそ生きる価値があると考えていました。それが何よりも人生の喜びとするところです。日本、世界に必要で、自分でなければできないことを探求すること。人間としてもっと大きな問題意識と世界観に立脚して生きること。手がかりは中学、高校の入院時に生命のぎりぎりの時に経験したあの不思議な幸福感です。内面に感じた豊かな生命。この内面を探求すること。内面を理解し変えることができれば、いついかなる時も豊かに生きられるだろうという確信が生まれました。
3年ほどして劇的に体が変化しました。それでも長い間患っていた体は容易には改善されません。しかし、人生と生命の真を生きている実感はありました。内面に意識を集中することで少しずつ内面が開かれていきます。美しいことは、美しいこととして内面で感じられるようになり、生まれて初めて誰に教わることもなく素直に感動する喜びを普段普通に経験できるようになりました。世界のことと自分のことが一つのこととして感じ理解できるようになっていました。
この頃から人に会うことは苦痛を伴いました。理由はすぐに分かりました。普段、人は内面をないがしろにして生きています。悩みなどを持っている人々が集まってくるようになりました。人の内面と自分の内面が感応し交流し始めると人に問題系決能力が生まれ、強化されるということが分かりました
いだきしん 2007年12月15日 陸奥新報「土曜エッセー」より